初代団長 崔 雲 山 1949-1954.10

全羅南道宝城郡

 1950年の韓国動乱の勃発を前後して本国情勢の不安定はも
ちろん在日同胞しゃかいにおいても思想的な対立が激化してゆき
朝総連との衝突事件は全国至る所で頻発していた。
 このような状況の中、朝総連の妨害を跳ね除け、葛飾支部を結
成、初代団長に選出された。民団内部でも派閥闘争により崔氏の
任期中には、幾度団長が変わったが、それはごくわずかな期間で
あり氏名もはっきりしない。
 この時期は団勢拡大や財政確保よりも、いかに外敵の破壊活動
から支部を守るということが使命であり、壮絶な武闘時代であっ
た。

第2・4代団長  鄭  順  相 1954.101955.10,1956.3-1956.10

慶尚南道咸陽郡
墨田区立花5-4-4

 支部組織の拡大と強化のため団員の意識改革を図り、支部活性化に
尽力した。
 1955年10月、現在の支部会館所在地に木造平屋建ての事務所を新築
堀切町より支部を移転した。まだ団員世帯も少なく経済的に困窮して
いた時期にもかかわらず建設委員会を組織し、支部建築に貢献した。
 1960年に入ってから墨田区へ移住したが、 葛飾支部での経験を活かし墨田支部でも団長に就くなど民団発展に寄与した。


第3代団長      申     明     1955.10-1956.3

全羅南道

民団の組織拡大に努めたが在任6ヶ月で団長を辞任。


第5・20・21・22代団長  金  金  童  1956.10-1958.2,1980.11-1986.6

全羅南道全州市
葛飾区堀切1-25-14   

*1983.6.8  冬柏章

 第5代団長を務めてから久しく、1980年11月第19代団長・都相学氏
の突然の辞任により後を継いで第20代団長に就任、その後も継続して第21,22代を務め上げるなど、葛飾支部ではもっとも長い期間団長を務めた。
 自ら団員宅を訪問し団費調整作業に奔走、また韓国人生活協同組合の会長として支部の基本財政確保に貢献。支部の土地・建物に対する公正証書を作成するなど財産保全に尽力した。
 外国人登録証常時携帯指紋押捺制度撤廃100万人署名運動を積極推
進、支部でも31名の押捺拒否者が続出するなど運動の盛り上がりを見せた。
 1980年12月「在日韓国青年会葛飾支部」が結成された。

第6・10代団長    徐  辛  甲   1958.2-1959.2,1963.3-1965.7

慶尚南道金海郡
                       

 1964年「東京オリンピック」支援事業に取り組み、本国選手団
と本国家族を再開させることに成果をあげた。
 韓日会談促進運動と法的地位要求貫徹民衆大会へ積極的動員を繰り
返し、団員の権益擁護意識を向上させた。
 平屋建ての支部会館を2階建てに新築するため建設委員会を結成、建設事業を推進。納税貯蓄組合員の納税意識を高め、組合の強化に尽力。

支部会館前での成人式記念写真(1964年)

第7代団長    李  興  韓   1959.2-1960.2

咸鏡南道安辺郡


 
1959年、日赤と結託した北韓および朝総連は共産主義のイロハもわ
からぬ在日同胞たちを甘言利説の欺まん宣伝により北送を企て、同年
12月には北送船第1号が新潟港より出港した。このような状況のなか
、支部でも北送反対運動に取り組み、地域同胞たちに対する宣伝啓蒙
に努めるなど、北送阻止に向かって決死的運動を繰り広げた。

 1959年12月には「在日大韓青年団葛飾支部」が結成されるなど、青
年組織の育成にも力を注いだ。

青年会葛飾支部結成総会(1980.12.13支部ホールにて)

第8・9代団長    金  東  燮    1960.2-1963.2

慶尚北道金泉郡


 4・19学生革命、5・16軍事クーデターなど激変する本国情勢の中、
朴正煕軍事政権を支持、共産主義活動を全面的に排撃し組織の拡充を
図るため積極的に活動。 徹底した反共主義者でもあった。
 また、日比谷公会堂で行われた「韓日会談促進民衆大会」にも多く
の団員を動員するなど、権益獲得運動に奮闘。
 韓国人葛飾納税貯蓄組合を再編し、日本国税庁の公認組合として指
定され補助金を受ける。その他不慮の事故や災難に対する相互援助や
極貧同胞救済事業にも少なからず成果をあげるなど民生安定に貢献し
た。

第11代団長   高  寛  命   1965.7-1967.3

咸鏡南道永興郡
葛飾区亀有1-15-7

 1965年6月の韓日基本条約調印により国交が正常化した翌月に
団長に就任、朝総連の悪意に満ちた逆宣伝をはねのけ地域同胞たちの
永住権申請を促進させた。
 また、永住権の法的確保により青少年たちの同化傾向を憂い、「在
日韓国青少年会」を発足させ、韓国語講座などを開講した。
 1965年に落成した新会館は自ら設計し建築資材を調達するなど
会館建築に貢献した。
 同胞零細企業者の多い葛飾の地で、経済的安定を目指し「韓国人生
活協同組合」設立を構想・推進するなど、民生安定に尽力した。
 現在も支部顧問として、また支部の教育委員長をながい間務め、韓
国語講習会の充実に力を注いでくれた。

 支部会館落成式(1965年7月)

第14代団長   金  玉  男   1970.6-1972.4

全羅南道宝城郡
葛飾区東四つ木3-44-8 

*大韓民国大統領賞受賞

 
 韓国学校の財政委員を長く年務め民族学校の運営に献身。
 在日韓国学校理事長賞を数度受賞、また本国においても全羅南道教
育長賞など数多くの受賞がものがたるように、民族社会教育事業にお
いておおいに貢献した。
  このような実績が認められ、1994年12月30日、金泳三大統領より大
統領賞を受賞。
  支部運営や組織活動に苦言を呈すことが多いが、支部行事にはかな
らず参加また援助を惜しまない、頼れる顧問の一人として若い人に慕
われている。


第15,16代団長   尹 致 夏   1972.6-1976.5

咸鏡南道永興郡

  

 民団内部の混乱期にありながらも支部を正常化させ、分団制を導入
し民団の信頼回復に努めた。
 1973年、京畿道揚州郡東豆川邑紙杏二里とセマウル姉妹結縁を結び
、支部より誠金300万ウオンを寄付、セマウル運動支援事業を積極的
に展開し祖国の近代化に貢献。
 韓国人葛飾納税組合長を歴任、団費増額の協力運動を行うなど財政
安定に尽力。
 1973年、借地だった土地を買い入れ登記手続きを完了、名実共に支
部財産として確立した。
 
支部団長以前には、民団中央本部の監察委員長や副団長などの要職
を務めたこともある。また朝鮮奨学会の理事として、日本の学校に通
う在日子弟に対する奨学事業にも尽力。


第12・13代団長   申 鳳 権   1967.3-1970.6

咸鏡北道吉州郡

1970年代に帰国

 法的地位要求貫徹と入国管理法改悪を在日同胞全体の死活問題とし
て、要求貫徹と入管法改悪反対のための大会やデモ行進に多数の団員
青年を動員し、権益擁護運動に尽力。
 地域的個別的運動体であった青少年会を発展的に解消し、「韓国青年同盟葛飾支部」に改編。
 支部に基本財政委員会を設置し、基本財政の初歩的基礎を確立。
1969都市には韓国人生活協同組合が設立された。

第17・18代団長   石 寿 星   1976.5-1980.5

釜山市釜山鎭区
葛飾区亀有1-26-23
 
1975年、人道的立場より開始された朝総連同胞に対する墓参団事
業、つづいて翌年には在日同胞の念願だった「望郷の丘」公園墓地造
成事業に貢献。
 1973年からスタートしたセマウル事業も継続し、姉妹部落にも毎年
訪問、77年にも各種種子を寄贈するなど積極的に推進した。
 韓国人生活協同組合の専務理事として支部の基本財政拡充に心血を
注いだ。また、1964年及び1994年には支部建築委員会の委員長として
建設募金運動を精力的に展開するなど、民団の基本財政確立と財産確
保に多大な貢献をした。
 団員からの信頼が厚い石寿星氏抜きには支部の発展は語れないほど
の功績があったことは誰もが認める事実である。
 現在も支部顧問として若い執行部を温かく見守っている、存在感の
ある顧問の一人である。

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    民団創立50周年に際して
           
           
朴 海 玉
                
(1996年)

 
葛飾支部第26代団長として、私の在任中に民団創立50周年を迎えられたこと
をうれしく思うと同時に、これからの支部運営に大きな責任を感じております。

 民団は創団50周年を機に「組織活性化120日間運動」を展開、同胞社会における新しい時代の要請に適応するため、組織の再活性化をはかりました。葛飾支部でも多くの地域同胞が求める真の組織のあり方とは何だろうか、どうすれば団員さんたちとの信頼関係と連携を築けるのか、ということを真剣に考えました。そして世代が変わった今、団員さんの新しく求めるものを知るために、当支部では初の試みではありましたが、アンケートを作成し戸別訪問を繰り返しました。近くにいながらもお互いが同胞だと解らずに過ごしていたことが今回の活動を通じて知り、団員さんが支部を身近に感じられる契機になりましたことは喜ばしいかぎりです。 しかしその反面、既存の民族団体に対する無関心層は日々増大しており、若い同胞たちの著しい同化傾向を目の当たりにするにつけ、組織の危機的状況と同時に在日同胞社会の将来に憂慮せざるをえませんでした。

  世代交代を声高に叫んでみても、未だに在日2世や3世が民団組織運営の主体とな
りえてないことは甚だ遺憾に思います。これは私たち2世の怠慢なのか、それとも名誉と保身の産物なのか、ともかく2世自らがこの壁を打ち破らねば組織の未来はないと暗澹たる気持ちにさせられます。一日も早く3,4世の状況を踏まえ現実的な要望に対応(日本社会におけるすべての差別を撤廃し同等な権利を獲得すること)できうる若い人材を幹部にすえ、まことで大胆な運動を展開してゆかない限り、次世代の組織離れや同化を防ぐことは難しいとおもいます。

 この50年を回顧するにあたり、私たちの諸先輩、諸先生方が血と汗にまみれてこ
の葛飾支部をつくり、それを維持・発展させ私たち2世にのこしてくれたこの民族財産の重みがズッシリと両肩にのしかかってくる思いがしました。私たち2世は、先人たちの苦労を無駄にしないよう、支部を活性化させ次世代への橋渡しをしなくてはなりません。これからも役員一同その重責を背負いながら、一生懸命支部活動に邁進してよく所存であります。

 最後に、この50年史が次世代の在日同胞社会において貴重な資料として、また組織運動の教訓として役に立つことを心より祈願しております。